世界の大企業であるトヨタと肩を並べるほどにすごかった日産ですが、現在は赤字続きで経営を縮小していることはご存じでしょうか?
日産の経営不振には深い理由と歴史があります。
今回は、なぜ日産がここまで衰退してしまったのか?を解説します。
現在の売上台数ランキング
1位トヨタ・2位ホンダ・3位日産
1位がトヨタというのは皆さん知っていると思いますが、2位は日産ではなくホンダに抜かれています。
3位は日産ですが、トヨタの販売台数の半分しか売れていません。

赤字続きの日産。日本の銀行から借り入れができなくなる
2019年度は6712億円、2020年度は4487億円の大赤字を出しています。
2年間で1兆円を超える赤字を出しています。
日本の銀行は、赤字会社である日産に貸付を拒否するほどになり、国外から資金を調達するしかなくなり、ドル・ユーロで約1兆3000億円の社債を発行するまで追い詰められています。
支払金利だけで、3か月毎に100億円を支払わなければならない状態になっています。
海外からの撤退
日産は国外にも工場を構え、生産・販売していましたが、赤字により次々と撤退していきます。
インドネシア・フィリピン・スペインでの生産は終了し、オランダ・韓国など30か国から販売を撤退しています。
過去の日産の業績から考えると信じられないことになっています。
日産の歴史。1970年まではトヨタと競うほどだった。
創業者は鮎川 義介(あいかわ よしすけ)さんで、日本産業という会社を作っていました。
様々な企業を吸収合併していき、日産コンツェルンを創設します。この中には今の日本を支える大企業が多くあります。
日立製作所・ENEOS・損保ジャパン・ニチレイなど皆さん聞いたことがある企業だと思います。
そして、1933年にダット自動車を吸収して作ったのが日産自動車になります。
これと同時期にトヨタも会社を設立しています。会社の創業時期が一緒ということでお互いライバル関係として、車業界を牽引していく存在になります。

日産の快進撃。技術の日産という言葉が生まれる
創業からシェアを拡大していった日産自動車は、1957年にトヨタが豪州ラリーに参戦したのをきっかけに、その翌年の1958年にダットサンで参戦して、なんと優勝してしまいます。
これがきっかけで、車はダットサン・技術の日産という造語が生まれました。

1970年までは順調に事業を拡大していた日産ですが、現在は赤字続きで衰退しています。
日産の失敗。赤字続きの原因は2つ
労働組合の内部抗争問題と海外進出の失敗の2つになります。
労働組合の内部抗争問題
始まりは1953年になります。
経営者の鮎川さんが、生産効率を高めようと色々な施策をするのですが、労働組合の人たちがその施策に対して反発して、日産争議と呼ばれるストライキが起きてしまいます。
1953年に100日以上争議が行われることになってしまい、3日に1回は工場が止まってしまう事態になってしまいます。
これにより、日産の経営者は労働組合の顔色をうかがいながら経営していかなければいけなくなってしまいました。
経営者や社長、役員を決めるのにも労働組合の許可がないといけなくなります。
これにより、経営陣と労働組合側の内部抗争が頻繁に起こるようになってしまいます。
社内での抗争に集中している間に、トヨタに抜かれてしまい、世界に置いて行かれることになってしまったのです。
海外事業進出の失敗
日産は海外進出を積極的に行うも、次々に失敗してしまいます。
スペインでは配当金が美味しいという話で、農機具やトラックを作る工場を買い取るも、まったく配当金がなく大赤字を出してしまう。
アメリカに工場を構え、現地生産して車を販売しようとしました。
1973年のオイルショックで、大型のセダンやトラックが売れなくなり、小型の乗用車などの需要が高まっていたにもかかわらず、日産はなぜかダットサントラックばかりを製造し、1998年には800億円もの赤字を出してしまいます。
トヨタやホンダが黒字を確保している時に、日産は大赤字を出します。
この失敗は有名で、「北米失敗」と呼ばれています。
アルファロメオとの提携を結び、共同で車を開発しますが、これも大失敗に終わり100億円もの赤字を出します。
当時のアルファロメオのダメな部分と、日産のダメな部分の掛け合わせで、まったく売れない駄作の車を作ってしまいます。
これにより、アルファロメオとの提携は2年で解消されます。
イギリスでも失敗しています。
現地調査の結果では、工場を出すと人件費や部品代が高く、採算が取れないという報告が上がっていたにもかかわらず、当時のイギリスの大統領からの癒着で、経営陣は強行してしまいます。
当然黒字になるわけもなく、イギリスでも赤字を出してしまいます。
これらの失敗により、負債総額は最大2.8兆円にもなりました。
1992年から1999年は、一回しか黒字が確保できずに毎年多額の赤字を出していました。
これにより、ホンダにも抜かれてしまいます。
動画で簡単解説
まとめ
昔の日産は本当にすごかったのですが、内部抗争や海外進出の失敗と立て続けの失敗により、今の状況につながってしまいました。
経営再建の為には、事業の縮小は必要だと思います。
再建を成功させ、またトヨタと競えるような日が来るのでしょうか?